長嶋JAPAN

このコラムは、2004年8月9日に書かれたものです。

 アテネオリンピックの野球競技、日本代表の長嶋監督が正式にアテネで指揮を執らないことが発表された。

そして、長嶋監督の「魂」を送るという意味で、日本の国旗に「3」と書いてアテネに送ったという話を先日のニュースで聞いた。
 実に美しい話だ。勝者より敗者にドラマを求め、敗者の美学がスポーツシーンを彩る我が国の習慣からすれば、何と美しく琴線に触れる話だろう。

 でははたして、監督不在の日本代表チームがアテネで最高のパフォーマンスを魅せることができるのだろうか?

 結果的にどうなるかは分からないが、テレビ中継でアナウンサーが何を言うかは目に見えている。
「日本から長嶋監督の魂が届いているんでしょうね〜」
「長嶋監督の思いを胸に秘め、選手は戦っています。」
きっと真顔でこんなことを言ってしまうのだろう・・・・

 決勝戦の9回裏、一点差で2アウト満塁、守備についている選手達はそれでも「長嶋監督の魂」を胸にこの場面でプレーするであろうか?そこに必要なのは「魂」ではなく、現実の指揮を執る指揮官の姿ではないのか?
 
 そもそも何故このような問題が起きたのか?例えば監督が野村だったら、病で倒れたときに「回復を待って指揮を執ってもらう」と言うだろうか?
 アメリカにはこんな格言がある「ベーブルースといえど、ベースボールを超えることはない」
 果たして日本ではどうだろう、長嶋茂雄は遙かに野球を超えた存在になってしまった。

 結果的に、野球をも超えてしまった長嶋茂雄の存在こそが、今回の「監督不在」という最悪の事態を招いた。
しかしもちろん悪いのは選手でも長嶋監督でもない。
  
 稚拙な組織は選手を、そして競技をダメにする。最大の戦犯はJOC、NPB、あなた達なんですよ。

ひっさびさ

このコラムは、2004年5月19日に書かれたものです。

今回は半年ぶりに出た試合の感想を。
ブランクが長かったためか雨のせいか単に集中力不足か、とにかく最後は集中力もやる気もなにもない試合になってしまった。

初日は久々だったので集中して初々しい気持ちで投げれたが、2日目は全くダメ、朝雨降ってた時点で行く気失せてたし、記憶に残るショットが一投もなかった。
こんなんじゃいつまでたってもダメですね、反省材料。

それにしても2日通して痛感したのが試合感の無さ、多少分かったきた試合のポイントみたいなものが全く分からなかったし、最後までペースもつかめずに終わってしまった。

まぁ結果はこんなもんだろうと、とりあえず今回は参加することに意義があったので。
課題がいっぱい見つかったのでその意味では非常に収穫の多い試合でした。

さぁ、また課題もって練習しよ

eight years liquidation

このコラムは、2004年4月6日に書かれたものです。

プロ野球がいよいよ開幕した、パ・リーグの開幕にメジャーのオープン戦をぶつけるなど、相変わらずセ・リーグ、正確には読売ジャイアンツ中心に動くこの国の野球には嫌になるが、今年の「パ・リーグ」は面白いと私は思う。

今年のパ・リーグの戦力を分析してみると、昨年の上位3チームからは、松井・小久保・ローズとチームの顔とも言える選手達が去り、下位3チームには、新庄・李スンヨプ・村松など、顕著とした戦力アップが見られる。
賛否両論あると思うが、プレーオフ制の導入により、どのチームにも本当に優勝を狙えるチャンスがあると思う。

その中でも私は「千葉ロッテマリーンズ」に期待している。

ロッテファンは思い出したくもないであろう8年前、広岡氏との対立でバレンタイン監督がチームを去った。
バレンタイン氏がチームを去って以降のロッテの順位は5位(96年)、6位(97年)、4位(98年)、5位(00年)、5位(01年)、4位(02年)、4位(03年)と何と8年連続Bクラスと冬の時代を迎えた。

そして今年、8年間に犯した過ちを認めるかのように、一度は戦力外通告を行った小宮山をチームに復帰させ、8年前に「解雇」という追放に近い形で球団を追われた「ボビー・バレンタイン」を監督に復帰させた。

長年に渡り、球団首脳が過ちを認められずに冬の時代を余儀なくされていた球団にとって、8年ぶりに春が来る予感をさせる出来事だった。
バレンタインの復帰により、現役メジャーリーガー2人「フランコ&アグバヤーニ」、そして韓国の英雄「イ・スンヨプ」が加入し、チームに顔と柱が出来た。

「千葉ロッテマリーンズ」8年間に及ぶ大きな過ちを認め、前に進む勇気を手に入れた男達、その男達の8年にも及ぶドラマの集大成を、私は大いに期待して見たいと思う。


日本スポーツ界の衰退

先日、都内某有名公園でスケートをしていたら、監視のおっさんに「公園内はスケート禁止なんだよ、危険だから」と注意された。
ちなみにその時公園利用者はゼロ、視界に入る範囲でもおっさんと私だけだった。

その公園にはこのような立て看板がある。
「サッカー・キャッチボール禁止、火遊び禁止」
芝生エリアに行けば「芝生エリアにつき立ち入り禁止」スケート禁止と書かれていないのに禁止と言われたことを考えると、他にも暗黙の禁止事項は多数あるだろう。

では何の為の公園なのであろうか?公園でキャッチボール禁止、芝生エリアで芝生に立ち入り禁止、本末転倒にもほどがある。
一体何を考えているのかと言いたくなる、これではどこかの国の政治と全く一緒ではないか!?
まぁその政治家が考えたルールであれば妙に納得できてしまうのだが・・・

日本のスポーツ界はトップにしか視点が行かない悪い傾向がある。
代表に金をかければ底辺が広がるという極めて危険かつ間違った考えである。
日本のトップ選手は、皆同じように、小学校から大学、その後に実業団またはプロへという同じレールをたどってきた。
異端を極端に嫌うこの国では、そのレールから外れた人間が陽の目を見ることはまずありえない。

つまり、レールから外れた人間に対しては、この国ではスポーツをする権利すらを奪ってしまう。
学校の部活に適合できなかった生徒の選手生命はここで終わる、イチローや中田を超える才能を持った選手一体どれだけ潰されていっただろうか。
よく考えれてみれば、毎月何万もの金を払ってスポーツクラブに行くこともおかしなものだ。

先日アメリカに行っていたのだが、町中いたるところにバスケットコートやテニスコートがあり、地元の少年たちが自由にプレーをしていた。もちろん利用料などかからない。

本来国民の誰もがスポーツを楽しむ権利を持っているはずだが、この国ではスポーツは一部の人間だけのものになっている。
スポーツ大国アメリカと劣国日本、素人が眼で見ても分かる程、歴然とした環境の違いがあると痛感してしまった。

日本スポーツ界は底辺に目を向けない限り、このまま衰退の一途をたどって行くだろう。

勝利を掴む者

このコラムは、2004年1月21日に書かれたものです。

久々にコラムを書こうと思う。
少々長い正月休だったが、ちょっと暇が見つかったので書きたいと思う。

NFLのパンサーズが一昨日、創設9シーズン目でスーパーボウル進出を決めた。
パンサーズと言えば、2シーズン前、リーグワーストの1勝15敗と低迷したチームである。
それに対して決定戦の相手はイーグルスは、3年連続NFCチャンピオンシップに駒を進めてきた、いわばエリートチームであった。

そのパンサーズが敵地でイーグルスを14−3で撃破し、初の大舞台切符を手にした。

勝負の世界で弱者が強者に勝とうと思ったら、どこかで必ず奇襲がが必要になる。
弱者が強者として立ち振舞った瞬間、そこから勝利の二文字は消える。弱者には戦力差を逆転するだけの発想と決断力、行動が必要なのである。

この試合を振り返ってみよう。
レギュラーシーズン中から硬いディフェンスを誇ってきたパンサーズは、この試合も序盤から守備陣が健闘したが、自力の勝るイーグルスが大方の予想通り先制した。
しかしこの試合の第2Q、パンサーズは誰もが予想しえなかった奇襲作戦に出た。
相手QBマクナブを激しくサックし、ろっ骨を骨折させたのである。
レギュラージーズンのパンサーズの計算された堅固且つ確実な戦術からは想像できない激しいチャージ、普段は見せないQBサック作戦。相手の一瞬の動揺をついた瞬間だった。
イーグルス陣営を惑わすにはその奇襲作戦は充分過ぎた、その時点でもはやゲームの行方は決っしていた。
第3QにはRBフォスターの1ヤードTDランで逆転、さらに追加点を奪った。

終ってしまえば、勝負は時の運であったと片付けられてしまうが、先に述べたように、弱者が強者に勝つための理由は必ず存在する。
逆に言えば「運も実力のうち」とも言えるのではないか?それらの言葉どおり「運」は実力に包含されるである。

すなわち勝負の結果とは、しっかりとしたプロセスを踏んだ人間の「必然」なのである。

記録の先に見えるもの

このコラムは、2003年12月22日に書かれたものです。

12月9日のコラムで、「実はあまり知られていない話がある」と書いたが、今回はその話を書きたいと思う。
繰り返しになるが、歴史上最速の投手といえばノーラン・ライアンというのが通説になっている。
カリフォルニア・エンゼルスに在籍した1974年8月20日のゲームの100.9マイル(161.4キロ)だ。

しかし、これはあくまでメジャーリーグの記録であって、マイナーリーグまで広げると、なんと恐るべき記録が残されている。

スティーヴ・ダルコウスキー、当時地元ではちょっとは有名だった左腕で、1962年Aクラスのイースタン・リーグ、エルミラ球団に所属していたときに、108マイル(約173キロ)を記録したというのである。

ダルコウスキーは1939年6月3日生まれ、1957年から1965年までの9シーズンを主にボルティモア・オリオールズ傘下のマイナー・リーグでプレーした。
9シーズンで結局メジャー入りは叶わなかったのだが、その原因は、「超」がつくほどの制球力のなさだったためだろう。

ダルコウスキーの通算成績は、236試合に登板し46勝80敗、防御率5.59、一見どこにでもいる平凡な投手の成績であるのだが、彼の凄いところはこの成績の内訳にある。
投球回数は995イニングで、許したヒットはわずか682本、四球はなんと1,354、奪った三振は1,396(奪三振率=12.63)だった。
奪三振数もたいしたものだが、なんと与四球と奪三振がほぼ同数なのである。
分かりやすく言うと、ダルコウスキーの典型的な完投ゲームの内容は「被安打6、与四球12、奪三振13」というもので、一年間で普通の投手の2年分近くの三振を奪っていたのだが、5〜6年分の四球を与えてるのである。
対戦相手の打者にとってダルコウスキーからヒットを放つのはまさしく至難の業だったということだ。

そんな彼だが、肩の酷使が祟ってか、9年間でプレーヤーとしての生涯を閉じている。

ちなみにこれもほとんど知られていないのだが、日本最速は伊良部の158kmとされているが、実は近鉄のデラクルーズがファームで159kmを記録している。

スポーツの年表や名鑑を覗いてみると、日の光には当たらない記録がたくさんある。パズルのように解き崩され、決して明るみに出ることの無い永遠の闇に葬り去られた記録すらある。

スティーヴ・ダルコウスキー、彼の記録もまた、表に出ることのない確かな歴史の一欠片なのである。

スピード狂の詩

このコラムは、2003年12月17日に書かれたものです。

今年のF-1サーカスは、最終戦までチャンピオン争いの行方が決まらず、激戦の末ミハエル・シューマッハが自身6度目となるワールドチャンピオンを獲得、そしてフェラーリ・チームがコンストラクターズチャンプを獲得し、大いなる熱気の中で幕を閉じた。

シーズンが終了してから2ヶ月がたち、各チームが来期へのテストを進めている頃、イタリアで興味深いイベントが行われた。
フェラーリ・チームが11日、グロッセート空港で2003年シーズンのチャンピオンマシン『F2003-GA』とNATOの最新鋭ジェット戦闘機『ユーロファイター』のスピード対決を実施したと言うのだ。

この対決は、グロッセート空港内に特設された約1kmのストレートで争われ、レースは3回に渡って行なわれた。
600mの距離で争う第1レースは『F2003-GA』にアドバンテージが与えられ、第2レースは900mの距離で『ユーロファイター2000』にアドバンテージ。そして第3レースは1,200mの距離を両者が同じ条件での勝負が行なわれた。

そしてもちろん、赤い羽根馬『F2003-GA』をドライブすのは他でもない地上最速の男「ミハエル・シューマッハ」であった。

第1レースは最高速重視のセッティング、空力パーツを装備した『F2003-GA』をドライブしたM.シューマッハが、最高速369km/hを記録する走りで制したが、モデナ出身の元宇宙飛行士のマウリツィオ・チェリが操縦した『ユーロファイター2000』も短距離での加速が可能なセットアップで挑み、第2、第3レースと続けて勝利。
この対決イベントは1-2で『ユーロファイター』が勝利を飾った。

結果的に破れはしたが、地上最速の男が、地球最速に挑んだ瞬間だった。

ミハエル・シューマッハ、世界最高峰のフォーミュラーワンで、前人未踏の70勝を上げ、6度のワールドチャンピオンを獲得、スピードを愛し、命を顧みない一瞬の煌きと輝きを放ちながら、自らが閃光になるその瞬間を至福の時とする男。

この対決に参加したシューマッハは「非常に面白いイベントだった。今日、この対決に参加できて僕は嬉しかったし、本当に印象的な挑戦だった」と語った。

少年のような興奮気味の顔でそう語ったこの男の目の先には、いったい何が写っているのだろう。

ただ一つ、このシーンを見て私が確信したのは、来期のF1サーカスもこの男が閃光となり、いくつものチェッカーフラッグを浴びるだろうということだ。

Tea Break コラムと私

このコラムは、2003年12月16日に書かれたものです。 コラムを読んでくださっている皆さん、いつも本当に有難うございます。
今回は、10回連載を勝手に記念しまして、何故私がコラムを書くようになったのか等を書きたいと思います。
そもそも第1回「肉体改造」を書いたときには、次のことは全く考えておらず、月に2本くらい書ければ上出来だなぁと漠然と考えいました。
つまり第10回は来年の3月頃に迎えられれば良いと・・・・ では何故コラムを書こうと思ったかと言うと、正直自分でも良く分からないのです。
しいて言えばプロバイダーから無料でスペース借りれるので、使わないともったいないと思ったのと、ホームページをマメにアップするには何か新鮮且つ斬新なことを始めなければなぁと思ったことくらいでしょうか。
実際に書き物の経験と言うと、読書感想文もあらすじだけ読んで書いていましたし、卒業論文程度しかまともな文章を書いたことも無かったのです。
ただスポーツの現場に私自身15年以上身を置いていますので、少しは選手の気持ちが分かる気でいますし、スポーツの一面は人生でも何にでも重なるとも思っています。
筋書きの無いドラマ、人為的には造れない感動がそこにはありますから。
私が感じた思いを誰かに伝えたい、その感動をいつまでも記憶に留めておく為、そしてなにより一人でも多くの人にスポーツの魅力と素晴らしさを感じて欲しいと思い、駄文ながらコラムを書かせてもらっています。(伝わっていれば幸いです)
ただ、コラムを続けられるモチベーションは確実に皆様からのメッセージからもらっています。
ゲストブックに書き込んでくれる友人や師匠、わざわざメールまで下さった方までいます。
ホームページを運営するにあたり、何よりのモチベーションと楽しみが、皆様から感想をいただけることです。
これからも「超不定期的に」コラムを書こうと思っていますので、是非またみなさまメッセージを下さい!それでは今回はこれで失礼します

栄光の光と影

このコラムは、2003年12月15日に書かれたものです。

松井稼頭央がニューヨークメッツと3年間で約22億円、ヤクルトの宮本が球団と3年6億プラス2年オプション契約と、この時期はプロ野球の華々しいストーブリーグの話題で持ちきりである。
代理人問題でもめた今年の契約更改行だが、成績を残した選手たちが多額の年棒アップを勝ち取って満面の笑みでオフを迎える。

景気のいい話が中心にメディアでは取りざたされるが、球団から「戦力外」と言われた選手たちが、またひっそりとユニフォームを脱ぐのもこの時期である。

オフになり選手達がつかの間の休養に入っている頃、浦和にある千葉ロッテの練習場に一人の男がいた。
伊与田一範、1996年、千葉経大付高からドラフト4位で広島に入団。高校通算本塁打45本のスラッガー。
高校では投手だったが、その打撃センスを活かして野手として入団、スカウティングリポートでは「柔軟性とパワーを兼ね備えた打撃」 「江藤二世として期待」と書かれていた。
その伊与田が、本年度在籍していた千葉ロッテから戦力外通告をうけた。
7年の現役生活での通算成績は「一軍出場31試合、打率.205 本塁打2 打点4」

誰かが紐解かなければ、記録にも記憶にも残らないで消えていってしまう選手はいったい何人いるのであろうか?

派手な世界であるが故に注目され、一年で富と栄光を手にすることができる世界。
だが、栄光の輝きとは、多くの影があってこそ、その輝きを維持できるということを忘れてはならない。

現在、伊与田は他球団でのプレーを希望しているが、今のところどの球団も獲得の意思を示していない。

これもまたプロスポーツの一つの現実なのである

サンデー兆治の挑戦

このコラムは、2003年12月09日に書かれたものです。

現在、プロ野球の記録に残っている投手の最速記録は、日本では伊良部秀樹の158km、MLBではノーラン・ライアンの161.4kmが公式記録だ。(実はあまり知られていない話があるのだが、それは別のコラムで)
日本では、スピードピッチャーは若さの象徴とされ、歳をとると投球術を身に付け、技巧派投手に転向していくのがセオリーとされている。
スポーツ科学の先進国であるアメリカでは、40歳近い投手が150kmのスピードボールを投げるシーンをたびたび見るが、日本ではまだほとんど見られない光景である。
体の造りの違いはあれど、スピードボールが若い投手の専売特許では少し寂しい気がする。

そんな中、昨日ビックリするニュースが飛び込んできた。
元ロッテの村田兆治が、マスターリーグの試合で140キロの速球をマーク、最年長最速記録を更新したというのだ。54歳での偉業達成である。
村田といえば、その独特のフォーム「マサカリ投法」から繰り出す豪球とフォークボールで、「サンデー兆冶」の異名をとった、80年代を代表する投手である。

私は何年も前、まだ高校野球の現役の頃だったと思うが、村田の講演会へ足を運んだことがある、そのとき彼はこう言っていた。
「大切なのはしっかりとした目標を持つことです。そしてその目標に向かって自分を信じて努力することです。
例えば150kmでたら次は155kmと、ひとつひとつ目標を高くして、自分に足りないものを補いながら日々努力を惜しまない。
目標を達成して満足していてはそれ以上にはなれない。常に目標を持っていなくては、そのままなんです」

あれからもう何年たっただろう。
村田はこの試合で140kmを出した後、こうコメントした。
「今季はもう1キロ上回りたい」
私はこのコメントを聞いたとき、何も言うことが出来ず、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。

そして最後に、村田はこうコメントしてベンチ裏へと消えていった
「夢を持ち続ける。人生は挑戦さ」

WE ARE ALL ONE

このコラムは、2003年12月05日に書かれたものです。

私は派閥や人間関係のこじれ、陰口が大嫌いだ。
元来体育会の人間なので、筋の通っていないことが嫌いな性分なのである。
いきなりこんなことを書いたのは、私と同じ?志をもつ格闘家が、脚光を浴び始めて来ているからである。
須藤元気、「WE ARE ALL ONE」の思想を持ち、ナスカの地上絵を背負っている男である。
彼のファイトは一言で言えば「アート」、トリッキーな動きと変幻自在の攻撃で、自らのスタイルを「だまし討ちの美学」とすら言う。
彼は試合に勝つと「WE ARE ALL ONE」の文字が入った国連の旗を掲げる。
すべては一体であるという思想。いつか世界中の人々の心にそのメッセージを届けたい、そんな気持ちで戦っていると彼はいうのだ。

今世界は大きく揺れている「イラク問題」「北朝鮮問題」「世界テロ」歯車が一つ違えばどう転んでもおかしくない状況だ。
世界はぐっと狭くなるが、私の周りの世界でも、人間関係のもつれや派閥みたいなものが多くある。
彼らには皆「WE ARE ALL ONE」の精神を持ってもらいたい、争いは不幸を生んでも幸は生まない。

そして今日も、「WE ARE ALL ONE」の旗を掲げる為に須藤はリングに上がる。

マイナー

このコラムは、2003年12月02日に書かれたものです。

先週の土日にディスクゴルフの東京オープンに参加した。
「ディスクゴルフ」と言われてもピンと来ない方も居るだろう。
アメリカ発祥の、フリスビーを使ったゴルフである。
このページを見てくれている人たちは、当然ディスクゴルフを知っているだろうが。
先日、ディスクゴルフがどのくらいマイナーなのかが気になり、googleのサーチ件数を調べてみた。
ちなみに日本一メジャーなスポーツ「野球」の場合3,740,000件のサーチ結果があった。
私の考えられる代表マイナースポーツを検索すると
ボブスレー=19,500  カヤック=134,000  カーリング=32,200 
ペタンク=141,000  グランドゴルフ=24,500
実にマイナーである。
野球の1/20、1/200に過ぎない。
そこで次にディスクゴルフのサーチ件数を調べた、なんと「5,930」である。
・・・・・・5,930・・・・・・あのカバディですら6,310なのに・・・
私が以前読んだ本によると、「組織が大きくなる為には、その組織自体がしっかりとした構造化されていなければならない」と書いてあった。今の日本社会にも言えることだろう。
確かに私も、このスポーツの組織がどうなっているのか知らない。
特段興味も無いが、やはりメジャー化にはまだまだ時間がかかるだろう。
それにしても「カバディ」に負けているとは思わなかったが・・・・・

HERO

このコラムは、2003年11月28日に書かれたものです。

大晦日の紅白に対抗し、猪木、K-1、PRIDE、日本を代表する格闘技の祭典が大晦日に集結する。
格闘技ブームが絶頂期を迎えているこの時代の、自然の流れなのかもしれない。

ボブ・サップ、時代が生み出した象徴的存在である。
彼のシンプル且つ豪快なファイトスタイルは、見ているものを爽快にさせてくれる。
しかし私は、最近のサップを見ていると、楽にお金を稼ぐ方法を憶え、本来の「野獣」の姿を見失っているように見えてならない。
先日の「K−1・WORLD GP開幕戦」サップはまたも崩れた。
「今のサップが誰に勝てるかといえば、それは難しい」試合後の谷川氏の発言だが、全く正しいだろう。
この試合60kg以上のウエイト差を生かせなかったことは深刻だろう、観賞用の肉体では勝てない。
サップは初心に帰り、原点を見つめ直すべきである。

田村潔司、「UWF最後の遺伝子」「赤いパンツの頑固者」と呼ばれ、日本の格闘技会を支えてきた一人である。
彼は頑固一徹で、極めて自分のスタイルを貫き通す。
それ故に人との対立もあるが、意識の高さとプロフェッショナルを感じられる、数少ない選手である。
ストイックに追求する彼のファイト、最近では高田延彦戦のKO勝ちや、吉田秀彦戦での涙は記憶に新しいところだ。

実はこの二人、一年半前に対戦している。
このときは80kgのウエイト差を生かせていたサップが、1R11秒でTKO勝利を収めたのだが 「勝機はあった」と試合後田村はコメントしている。

一年半の時間はこの二人に何を与えたのだろう。
私は大晦日のどのカードよりも、この二人の再戦を見てみたい。

肉体改造

このコラムは2003年11月26日に書かれたものです。

トレーニング方法には古来からの
「継続的な有酸素運動で生活活動代謝をあげ、次々と体脂肪を燃やす」
エアロビクス的な継続運動と、
「無酸素運動の筋トレで基礎代謝をあげ、結果的に脂肪を燃やす」
ケビン山崎氏が提唱したトータルワークアウト的運動がある。
最近プロ野球の清原選手の肉体改造で有名になったのが同氏である。

「ダイエット」に限って言えば、ケビン氏の理論は今までの根本を覆すものであろう。
しかし私は、こうやって新しい理論が出てくることは大切なことだと思っている。
ウサギ跳が主流の時代もあったわけだし、日本はトレーニングに精神論をひっぱりすぎた。

5年後10年後にどちらの理論が主流になっているかは分からないが、個人的に非常に興味を持って見ていきたいと思っている。

ところで私はケビン氏の理論に賛成である。
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Tetsuya T2 Kikuchi

ディスクゴルフ日本チャンピオンの菊地哲也です。

2002年にディスクゴルフに出会い、2010年、2011年に日本チャンピオンに。
2012年には世界で9万人を超えるプレーヤーの中で、日本人として唯一の100傑入りとなる、世界ランキング27位にランキングされました。
2014年にはアジア・オセアニアランキングでも1位にランキングされました。

メディア関係も多数取り上げていただき、
元旦のウルトラマンDASHで、フライングディスクのウルトラマンとして出演しました。
ディスクゴルフの広告塔としても頑張っています。
よろしくお願いします。

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